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第2回フォーラムのお知らせ
開催日:2007年12月7日~9日
開催場所 九段下(東京イタリア文化会館)
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 内なる目
内なる目
もし、意識がそもそも何かに対する解答であるとするなら、それは人類(おそらくは人類だけ)が遭遇しなければならなかった生物学的な試練に対する解答であったに違いない。

しかし、知能だけで十分だとは信じていない。

外面的な事実に気がつくということと、うわべの下にあるものを読み取り、自分が目にしているものを理解することとは、まったく別の問題である。

私たちが同じ人間の行動を観察するき、その背後により深い原因となる構造(計画、意図、情動、記憶、その他隠れた存在)を見るのであり、私たちが彼らのしていることを理解できるといえるのは、この根拠に根拠に基いていることなのだ。言い換えれば、私たちは、人間の心についてのひとつの像、一種の概念モデルをもっており、それをなくしては、私たちは「天性の心理学者」ではありえないのだ。

 しかし問題は、そのようなモデルがどこから来るかということだ。
人間の心についてのモデルは、実質的に人間の脳のモデルでなければならない。

しかも人間の脳は想像を絶するほど複雑だ。
おそらく宇宙でももっとも複雑なメカニズムだろう。
人間の振る舞いを外部から知力をもって観察するだけで、脳のモデルを組み立てるなどということが、そもそも本当にありえるだろうか?

行動主義者はここでつまずいた。

「感情を持っている」という事実をあたかも科学的不要物のように切捨てたのである。

行動主義者は、人間の行き方を理解するための想像しうる限り最強の道具を退けたのである。

外部からは複雑すぎて、どのようにも記述にもはかりしれない我々の行動は、自らにとっては、シンプルな自明に過ぎない。

我々は自分の行動を観察する「内なる目」=意識の起源をもっていて、それが内部にモデルとしてあるのだ。

その内部モデルを相手に当てはめ理解することが可能になる。

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テーマ:サイエンス - ジャンル:学問・文化・芸術

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(2007/11/11(日) 08:47)

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