知の統合プロジェクト
   第2回フォーラムのお知らせ 開催日:2007年12月7日~9日 開催場所 九段下(東京イタリア文化会館) http://www.acejapan.or.jp/forum/uhip_2007.html
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お知らせ

第2回フォーラムのお知らせ
開催日:2007年12月7日~9日
開催場所 九段下(東京イタリア文化会館)
シャンジュー、ハンフリーがやってくる。
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 第三の文化
・第三の文化
第三の文化とは、科学的な知と、人文的な知とが、渾然一体となったもの。
この文化が、出現するとしたらどのようなプロセスをたどるだろうか?
スノーは「文学的知識人が、科学の言葉を用いるようになることで「第三の文化」が生まれると予想していた。



・ブロックマンの第三の文化 http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/sakuralab/about/Brockman.htm




http://images-jp.amazon.com/images/P/0684803593.01.MZZZZZZZ.jpg
ブロックマンはスノーとまったく逆のプロセスを予測している。
1)科学主導で知が再編されるとしている。(科学者か?技術か?)
2)科学的知識はすでに「公衆文化」として広く吸収しており、第三の文化が出現しやすい時代となっている。



そして彼は。「知識人は知を統合し、同時代へコミュニケーションしなければならない。」としている。

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テーマ:科学・医療・心理 - ジャンル:学問・文化・芸術

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(2006/07/06(木) 23:39)

 プロジェクト構想の基本概念
kihongainen.gif


テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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(2006/06/24(土) 18:52)

 プロジェクトミッション

I.社会一般の自然科学に対する理解・認識を芸術表現活動によって深めること


II.科学・技術・芸術の国際的な横断ネットワークを構築すること


テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

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(2006/06/24(土) 18:16)

 なぜいま、科学と芸術の融合か
科学技術は私たちの物理的社会生活のみならず精神生活にも深く結びついているにも関わらず、一般市民社会の科学に対する認識度の低下は昨今世界的な傾向となっています。膨張し続ける知識と科学技術の進歩に共なって急速に変容を遂げ続ける社会生活環境、一般通念、モラル、文化は、全体像の見えない一般の人びとに不安感を与え、科学に対する不信感を生み出す要因ともなっています。それは、科学知識が良くも悪くも人類社会に多大なる影響を与えるからなのです。芸術表現活動は、科学が私たちの世界観をどのように形成しているのか、私たち人類を何処へ導こうとしているのかなどの問いを投げかけてゆくことで、科学と社会との関係を橋渡しする役割をもっと積極的に担ってゆくべきなのです。科学知識が特定の人々の自己中心的世界観による独断や、狭量な利己追求目的に利用されるようなことがあってはならないように(偉大なアインシュタインの発見、特殊相対性理論は核爆弾という現代の怪物を生み出しました)、芸術もまた自己中心的世界観による独断と偏見や、狭量な利己追求目的に利用されるべきではありません。
   20世紀における知識の膨張は知の専門化・細分化をもたらし、知の全体像を把握することが益々困難になった為に、社会的コンテキストにおける知的創造活動の本来の意義や使命が見失われつつあります。人類文明誕生以来、人は常に生きることの価値や意義を追い求め、人間存在と現象世界との関連を探究し続けてきました。この人類の飽くなき知的探究心こそが我々に知的・物質的豊かさをもたらす源泉となってきたのです。人がもし物質的豊かさだけを追い求め、生きることの価値を問い続けることをしてこなかったとしたら、果たして我々人類は今日の知的社会基盤を築き上げることができたのか、と言うことを我々は知的創造活動において常に問い続けてゆかなければなりません。豊かな社会とは何か、それを築くために私たちは何をなしてゆくべきなのか、知識はいかに活用されるべきなのか、未来にどのような種を蒔くことができるのか、科学と芸術の真の社会的役割とは何であるのか。物質的豊かさを手に入れた私たちは今こそ、この命題に真剣に取り組んでゆくべきなのです。
   「現在の日本は、歴史的にもっとも豊かな生活を実現した一方で、1990年代以降の長期的な停滞を経験する中で、さまざまな社会不安が生じている。たとえば、過去3年間の日本の自殺件数は3割近くに増加し、特に働き盛りと考えられる四十代、五十代の自殺が急増している。また、雇用者が激務の末に命を失うといういわゆる「過労死」は、1980年代から日本の社会問題となっているが、世界のどの国にも類例のない現象として注目される。なぜ死に至るまで働き続けるのか、なぜ家族を置き去りにせざるを得ないのか。人生の価値観とは、何か。我々はなぜ生きるのか。日本人一人一人が「生きることの価値」をあらためて問い直さなければならない状況にあるようにも思える。」[2] [2] 日本学術会議 「日本の計画 Japan Perspective」よりhttp://www.scj.go.jp/ja/scj/perspective/index.html

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(2006/06/15(木) 00:03)

 プロジェクト理念  

     科学と芸術はその方法論こそ違え、元来、世界に内在する調和の希求と探究へと人類知性を駆り立てた人間精神の発露を具現化する方法手段でありました。芸術であれ科学であれ、歴史の偉大な識者たちの不滅の仕事の根幹を支えていたのは“ある個人を、そしてある分野を、さらにはある時代を突き動かしている、あるひとつの偉大なイメージ[1]”であったように思われます。19世紀産業革命以降、科学的知識の探究は実社会での応用性とそれに伴う利潤の追求へ、芸術創造の探求は名声と権威獲得の追及へと傾倒し、学術の本質である内在的精神性に基づく知性への探求は徐々にその影を潜めてしまいました。


    21世紀グローバル化時代を迎えたいま、私たちは人類を世界調和へと導き示してくれる“あるひとつの偉大なイメージ”をかつてないほど希求しているように思われます。現代の大量消費・破壊時代に生きるわたし達は、自らの存在と自然界とのグロテスクな不調和性を漠然と意識下に感じ取っています。多くの人びとが、現代社会体制に組み込まれることでしか生きてゆけない自らの存在の無力さと空虚さを感じながら、この病的な現実社会に希望を見出すことが出来なくなってきているのではないでしょうか。


    科学がこのような社会に生きる私たちに与えてくれるのは、技術発展による効率的生産性が生み出す豊かで安逸な生活環境や、医療進歩による健康余命(あるいは軍事兵器開発による脅威)だけであっては決してならないのです。科学知識は私たち人類に、自然現象の深遠且つ神秘的崇高美を垣間見せてくれ、人間精神に尽きることのない詩想や想像性を喚起させてくれる、創造的知性と感性の源泉たるべきなのです。


    理性による分析と計算を通して知られる自然現象(科学知識)を、人間感性に強く働きかける抒情詩的表現(芸術)によって叙述することで、私たち人間がこの美しい自然の体現そのものであること、そして我々個々人はこのグロテスクな人間社会の一員である以前に崇高な自然連鎖の一部であるという事を、科学と芸術は今、手を取り合って人々に伝えてゆくべきなのです。人々の知的好奇心を喚起し、個々人を偉大な仕事へと駆り立てる偉大なイメージの形成は、科学と芸術による知の再統合によってのみ、為されうる仕事なのです。


 [1] 「科学にとって美とは何か」ジュディス・ヴェクスラー編 金子務監訳 白揚社 pp226


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(2006/06/14(水) 23:56)

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